馬場元子監修

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北海道・札幌中島体育センターで「ハル薗田ラスト・メモリアルマッチ」に登場。馬場は薗田と同時代を過ごした渕正信&百田光雄とトリオを結成し、ラッシャー木村&永源遙&泉田純組と対戦した。

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東京・キャピトル東急ホテルで記者会見を開き、翌年5月1日の東京ドーム大会開催を発表した。

1998
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東京・後楽園ホールで「還暦記念試合」に登場。60歳の誕生日を迎えた馬場は三沢光晴&マウナケア・モスマンとトリオを結成し、川田利明&小橋健太&渕正信組と対戦。試合は29分27秒、馬場がランニング・ネックブリーカードロップを渕に決めて3カウント奪取、健在ぶりをアピールした。試合後には「まだやれるんじゃないかと」と発言。

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クイズバラエティー番組の『中居正広のボクらはみんな生きている』(フジテレビ系)に2週(11、18日)連続でゲスト出演。MC中居との軽妙なトークに、共演の生田斗真(当時13歳)も大爆笑。

05
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全日本プロレス単独としては初の東京ドーム大会を開催。5万8300人の大観衆が見つめる中、馬場は「FMW」のハヤブサとチームを初結成。志賀賢太郎を加えたトリオで、新崎人生&ジャイアント・キマラ&泉田純組と対戦した。馬場と初対決の新崎が「ロープ拝み渡り」を決めたシーンは記憶に残る名場面となった。試合はハヤブサがファイヤーバード・スプラッシュで泉田をフォール。

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徳島市立体育館で、新崎人生と初めてチームを結成。マウナケア・モスマンを加えたトリオで、三沢光晴&大森隆男&浅子覚組と対戦した。試合は人生が念仏パワーボムで浅子をフォール。

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東京・日本武道館で、ジャンボ鶴田と生涯最後のチーム結成。ラッシャー木村を加えたトリオで、渕正信&永源遙&菊地毅組と対戦した。試合は木村がラリアットから菊地をフォール。

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東京・日本武道館で、馬場は新崎人生&丸藤正道とトリオを結成し、邪道&外道&金丸義信組と対戦。邪道&外道とはこれが初対決だった。試合は人生が念仏パワーボムで金丸をフォール。

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福岡・博多スターレーンで、三沢光晴&小川良成とトリオを結成し、川田利明&田上明&泉田純組と対戦。馬場にとってはこれが生涯最後のメインイベント登場となった。試合は小川が4の字ジャックナイフ固めで泉田をフォール。

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宮城県スポーツセンターで、馬場は本田多聞&泉田純とのトリオで、大森隆男&高山善廣&垣原賢人組と対戦。「UWF戦士」の高山&垣原とはこれが初対決だった。試合は泉田が垣原をフォール。

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『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に出演。11月23日放送分に続く異例の2週連続登場となった。新聞テレビ欄の煽り文句は「黒柳にけいこつける」だった。

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長野・松本市総合体育館大会を風邪を理由に欠場。92年4月19日以来の欠場で、連続出場は906試合でストップした。

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前日の松本大会に続き、この日のツインメッセ静岡大会を欠場。

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千葉公園体育館大会で復帰(G・馬場&R・木村&百田光雄対渕正信&永源遙&菊地毅組)。馬場は16文キックやコブラツイストなどを披露した。試合後には「まだ微熱があるんだけど、今日も休んだら、アンタらに引退かって書かれるからな」と報道陣にコメント。

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05

年内最終戦の日本武道館大会に出場(G・馬場&R・木村&百田光雄組対渕正信&永源遙&菊地毅組)。国内通算5758戦目。試合は16分3秒、百田がエビ固めで永源をフォールした。シリーズ終了後、検査入院に入る。

1999
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この日、東京・後楽園ホールで開幕の『99新春ジャイアント・シリーズ』を欠場。

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午後4時4分、永眠。享年61。

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ジャイアント馬場の永眠から一夜明け、その情報が午前中からインターネット上を駆け巡る。マスコミが自宅にも押し寄せたことで、ついにはその事実を午後7時から全日本事務所で記者会見を開き発表。テレビ局はニュース速報で訃報を伝えた。

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自宅にて密葬。戒名は顕峰院法正日剛大居士。

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日本武道館で「ジャイアント馬場選手お別れの会『ありがとう』」を開催。全国から2万8000人のファンが駆けつけた。

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東京ドームでジャイアント馬場『引退』記念興行を開催。国内通算5759試合目としてG・馬場&ザ・デストロイヤー組対ブルーノ・サンマルチノ&ジン・キニスキー組が組まれ、オーロラビジョンに過去の名勝負映像が映し出された。観衆6万5000人。