馬場元子監修

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30

大阪府立体育館で、当時NWA世界ヘビー級王者のドリー・ファンク・ジュニアを相手にインター王座の防衛戦。1-1からの3本目は両者リングアウトとなり、17度目の防衛に成功した。体感温度が40度を超える中での死闘によって、3本目の途中には意識もうろうとなり、思わず心の中で「お母さ~ん! 何とかしてくれよ!」と叫んだという。

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04

東京体育館において、アントニオ猪木とのコンビでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組を相手にインタータッグ王座の防衛戦。2-0のストレート勝ちで10度目の防衛に成功した。

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05

東京球場で、初来日のアブドーラ・ザ・ブッチャーと初の一騎打ち。開始早々から場外乱闘となり、外野の芝生上でも殴り合った末に両者リングアウトの結末。

09
17

東京・台東体育館で、アブドーラ・ザ・ブッチャーを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め18度目の防衛に成功した。

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01

東京体育館で、アントニオ猪木とのコンビでジン・キニスキー&ジョニー・バレンタイン組を相手にインタータッグ王座の防衛戦。2-1で勝利を収め11度目の防衛に成功。「BI砲」の防衛戦史上、ベストバウトとの評価も高い。

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03

大阪府立体育館で、ジン・キニスキーを相手にインター王座の防衛戦。1本目を32文ロケット砲で先取したが、2本目はシュミット流バックブリーカー、3本目はバックドロップの前に3カウントを奪われ王座転落。19度目の防衛に失敗した。

12
19

アメリカ・ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムで、ジン・キニスキーが保持するインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦。1-1からの3本目は逆エビ固めで勝利、馬場が第7代王座に返り咲いた。

1971
02
02

広島県立体育館で、ザ・ストンパーを相手にインター王座の防衛戦。1-1からの3本目は両者リングアウトとなり、初防衛に成功した。

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02

国際プロレス(東京体育館)との興行戦争となったこの日。東京・蔵前国技館において、アントニオ猪木とのコンビでともに初来日のミル・マスカラス&スパイロス・アリオン組を相手にインタータッグ王座の防衛戦。2-1で勝利を収め13度目の防衛に成功。

03
04

愛知県体育館で、スパイロス・アリオンを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め、2度目の防衛に成功した。

05
19

大阪府立体育館で「第13回ワールドリーグ戦」の決勝戦。4選手が1位同点で並んだが、アントニオ猪木対ザ・デストロイヤー戦は両者リングアウトとなり、アブドーラ・ザ・ブッチャーから勝利を収めた馬場が2年連続5度目の優勝を飾る。試合後、猪木が馬場のインター王座への挑戦を表明。

05
28

日本プロレス協会の平井義一会長と、日本プロレス興業の芳の里代表が東京・後楽園ホールで記者会見を開き「猪木の挑戦は時期尚早」としてBI対決の見送りを発表した。

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29

東京体育館で、イワン・コロフを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め、3度目の防衛に成功した。

07
01

大阪府立体育館において、アントニオ猪木とのコンビでイワン・コロフ&ダッチ・サベージ組を相手にインタータッグ王座の防衛戦。猪木の挑戦表明後、初のタイトル戦だったが、2-1で勝利を収め14度目の防衛に成功した。

07
17

母・ミツさんが亡くなる。馬場は『8時だョ!全員集合』(TBSテレビ系)ゲスト出演前に危篤の報を受けたが、出演をキャンセルできず、母の死に立ち会うことはできなかった。

08
01

福岡市スポーツセンターで、クリス・マルコフを相手にインター王座の防衛戦。2-0で勝利を収め、4度目の防衛に成功した。

09
04

東京・田園コロシアムで、フリッツ・フォン・エリックを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め、5度目の防衛に成功した。

09
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ハワイのカハラ・ヒルトンホテルで元子夫人と結婚式を挙げる。

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24

東京・後楽園ホールで「第2回NWAタッグリーグ戦」が開幕。馬場は吉村道明とのコンビで出場も、A・猪木&坂口征二組に1点及ばず決勝進出はならず。馬場いわく「日本プロレス時代に戻れるなら吉村と組みたい。最高に気持ちのいい試合ができるパートナーだった」。

11
25

広島県立体育館で、ブルーノ・サンマルチノを相手にインター王座の防衛戦。1-1からの3本目は両者リングアウトとなり、6度目の防衛に成功した。

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07

 

北海道・札幌中島スポーツセンターにおいて、アントニオ猪木とのコンビでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組を相手にインタータッグ王座の防衛戦。1-2で敗れ王座転落、15度目の防衛に失敗した。13日に猪木が日本プロレスを除名されたため、同団体での「BI砲」の試合はこれが最後となった。

12
12

東京体育館で、テリー・ファンクを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め、7度目の防衛に成功した。

12
17

アメリカ・ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムにおいて、ジョン・トロスとタッグを組み金網デスマッチに登場。マサ斎藤&キンジ渋谷組を撃破した

1972
02
29

東京・大田区体育館で、ブルドッグ・ブラワーを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め9度目の防衛に成功。3月6日に同所で予定されている新日本プロレスの旗揚げ戦に対抗して、急きょ開催した興行&タイトル戦だった。

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03

NETテレビ(現・テレビ朝日)の『ワールドプロレスリング』に馬場が初登場。日本プロレスの承諾がないまま、日本プロレス幹部が見切り発車したものだった。

05
12

東京体育館で「第14回ワールドリーグ戦」の決勝戦。ゴリラ・モンスーンを2-1で下し、3年連続6度目の優勝を飾る。この日の生中継をもって日本テレビは金曜夜8時の中継を打ち切った。

05
19

アメリカ・ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムにおいて、坂口征二とのコンビでドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組が保持するインタータッグ王座に挑戦。2-1で勝利を収め、第16代王者となった。

06
01

大阪府立体育館で、ジョニー・バレンタインを相手にインター王座の防衛戦。2-1で勝利を収め10度目の防衛に成功。馬場にとってはこれが最後のインター戦となった。

07
05

北海道・札幌中島スポーツセンターで、坂口征二とのコンビでキラー・コワルスキー&ムース・ショーラック組を相手にインタータッグ王座防衛戦。2ー1で勝利を収め2度目の防衛に成功。馬場にとっては日本プロレスにおける最後のタイトル戦となった。

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29

東京・赤坂プリンスホテルで記者会見を開き、日本プロレスからの独立を発表。