馬場元子監修

11
15

東京・大田区体育館で、ディック・マードックを相手にPWFヘビー戦。1-1からの3本目に日本初披露の回転エビ固めを決めて、20度目の防衛に成功した。

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02

鹿児島県立体育館で、ジャック・ブリスコが保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦。1-1からの3本目、3分20秒、ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで勝利。第49代王者となった。

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05

東京・日大講堂で、NWA&PWF王者の馬場が二冠をかけてジャック・ブリスコと対戦。2-1で勝利を収め、NWAは初防衛、PWFは22度目の防衛に成功した。

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09

愛知・豊橋市体育館で、ジャック・ブリスコを相手にNWA世界ヘビー戦。1-2で敗れ、王座から転落した(2度目の防衛に失敗)。

1975
01
05

東京スポーツ制定「昭和49年度プロレス東京スポーツ賞授賞式」(東京プリンスホテル)で馬場は最高殊勲選手賞を受賞。ステージ上で約3年ぶりにアントニオ猪木と再会した。

02
05

アメリカ・テキサス州サンアントニオ・ミュニシバル・オーでトリアムで、ジャンボ鶴田をパートナーにドリー・ファンク・ジュニア&テリー・ファンク組が保持するインタータッグ王座に挑戦。2-1で勝利を収め、第22代王者となった。

05
03

和歌山県体育館で「第3回チャンピオン・カーニバル」決勝戦。ジン・キニスキーを2-1で下し、3連覇を飾った。

05
09

東京・日大講堂で、PWF王者の馬場とWWWF世界王者のブルーノ・サンマルチノがダブル・タイトルマッチ。

07
25

東京・日大講堂で、フリッツ・フォン・エリックを相手にNWA世界ヘビー級王座挑戦者決定戦。試合は「テキサス・デスマッチ」でおこなわれ、馬場が1626秒、KO勝ちを収めた。

09
21

韓国を訪問中の馬場に対して、大木金太郎がソウル市内のホテルで突然、挑戦状を手渡す。翌22日、挑戦を受諾。

09
29

東京・銀座東急ホテルで記者会見を開き「オープン選手権」の開催(12月)を発表。「広く門戸を開放し、各団体からの代表選手を求める」。

10
30

東京・蔵前国技館で、大木金太郎と時間無制限一本勝負で激突。6分49秒、ランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで馬場が勝利を収めた。

12
05

東京・銀座東急ホテルで「オープン選手権」の前夜祭。参加メンバーは馬場のほか全日本からは鶴田、デストロイヤー、ヘーシンク。国際プロレスからラッシャー木村、グレート草津、マイティ井上。海外勢はドリー・ファンク・ジュニア、ハーリー・レイス、アブドーラ・ザ・ブッチャー、バロン・フォン・ラシク、ホースト・ホフマン、ドン・レオ・ジョナサン、ミスター・レスリング、ケン・マンテル、ダスティ・ローデス、ディック・マードック、パット・オコーナー。さらに大木金太郎、ヒロ・マツダの総勢20人。翌6日に東京・足立区体育館で開幕した。

12
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東京・日本武道館で「力道山十三回忌追善特別興行」を開催。馬場はザ・デストロイヤーとのコンビでジャンボ鶴田&ドリー・ファンク・ジュニア組と対戦し、2-1で勝利を収めた。

12
15

宮城県スポーツセンターで、ジャンボ鶴田と「オープン選手権」の公式戦として初の一騎打ち。1649秒、ネックブリーカードロップから河津落としとつなぎ体固めで馬場が勝利を収めた。

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千葉公園体育館で、ラッシャー木村と「オープン選手権」の公式戦として初の一騎打ち。試合途中、ブッチャーが乱入し木村が流血。6分53秒、最後は河津落としからの体固めで馬場が勝利を収めたが、国際プロレスの吉原功社長がレフェリーに抗議する場面も。

12
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神奈川・川崎市体育館で、ホースト・ホフマンを10分5秒、ネックブリーカードロップからの片エビ固めで撃破。得点を11に伸ばし、2位のドリー・ファンク・ジュニア、アブドーラ・ザ・ブッチャー(ともに10点)を振り切り、馬場が「オープン選手権」の優勝を飾った。

1976
01
26

愛知県体育館で、ジャンボ鶴田とのコンビでディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組を相手にインタータッグ王座の防衛戦。1-1からの3本目は反則勝ちで7度目の防衛に成功した。

03
08

愛知県体育館で、ワフー・マクダニエルを相手にPWFヘビー戦。2-1で勝利を収め、同王座の連続防衛回数を30の大台に乗せた。

03
10

全日本の参謀格だったマシオ駒がこの日の朝に死去。日大講堂大会で追悼のテンカウント。

03
28

東京・蔵前国技館で、国際プロレスと「全面対抗戦」。ジャンボ鶴田対ラッシャー木村戦など計10試合がおこなわれ4勝4敗2分け。馬場は出場せず。

05
01

東京・日大講堂で、ジャンボ鶴田を相手に「第4回チャンピオン・カーニバル」公式戦。2度目の一騎打ちは2615秒、バックドロップからの片エビ固めで勝利。

05
08

北海道・札幌中島スポーツセンターで、アブドーラ・ザ・ブッチャーを相手に「第4回チャンピオン・カーニバル」優勝決定戦。馬場は9分53秒、反則負けを喫し、4連覇を逃した。

07
24

東京・蔵前国技館で、全日本マット初参戦のビル・ロビンソンを相手にPWFヘビー戦。1本ずつ取り合ったあと、馬場がランニング・ネックブリーカードロップからの体固めで3カウント奪取。31度目の防衛に成功した。

09
21

東京・世田谷区砧に道場が完成。馬場以下、全選手が出席し、落成式が執り行われた。

10
15

東京ヒルトンホテルで馬場同席のもと記者会見を開き、元幕内力士・天龍の全日本プロレス入団を発表。

10
28

東京・蔵前国技館で、馬場&鶴田組は大木金太郎&キム・ドク組に1-2で敗れ、インタータッグ王座から転落。13度目の防衛に失敗した。

12
09

東京・日大講堂で、ジャンボ鶴田をパートナーに大木金太郎&キム・ドク組が保持するインタータッグ王座に挑戦。2-1で勝利を収め、第25代王座に返り咲いた。この日は新日本プロレス・蔵前国技館大会と興行戦争。「隅田川決戦」と称された。また、リング上では天龍が断髪。馬場もハサミを入れた。

1977
02
11

アメリカ・セントルイスで天龍源一郎(761113日にテキサスでデビュー)と初めてタッグを結成。ドリー・ファンク・ジュニア&パット・オコーナー組と対戦し敗れた。

05
14

東京・日本武道館で「第5回チャンピオン・カーニバル」決勝戦。馬場はまず「優勝戦出場者決定戦」で得点2位タイのアブドーラ・ザ・ブッチャーと対戦し反則勝ち。その後、得点1位のジャンボ鶴田と「優勝決定戦」で激突。1039秒、ランニング・ネックブリーカードロップで3カウント奪取、2年ぶり4度目の優勝を飾った。この興行が全日本単独としては初の日本武道館大会。