馬場元子監修

16文のプロレス観

 (90年4月13日、WWFとの合同興行となった東京ドーム大会を前に)オレはWWFの選手と全日本の選手を比べて下さいという気持ちがあるんだ。あるいはWWFのレスラーと、うちに来ている外人レスラーを比べてちょうだいというのかな。全日本のリングに上がっている外人が、いかにそろっているというか、素晴らしいのがわかるはずだよ。
 WWFが日本に乗り込んでくるというのに、なぜ我々がいっしょになって興行する気になったかというと、一番の原因はそこなんだ。日本のファンの前でWWFとウチの選手を、比べてもらいたい。
 要するにただ「面白かった。楽しかった」といって終わってしまえばそれはそれでいいけど、比べて見てもらえたらもっといいなあというのが、オレの今の気持ちだな。ウチのレスラーに対してオレは、それだけの自信を持っているんだ。信頼をよせているというかな…。

『週刊プロレス』1990年4月17日号より

 プロレスの技というのにも、ポイントがあるんです。基本としては立ち技、寝技があります。でも、寝技というのは、下手をすると、おもしろくもなんともなくなってしまうんですよ。

 どういうことかというと、例えば日本武道館で試合をやります。あそこは大きい会場ですから、リングの上の隅で寝技をやっても、動きの小さい技だとお客さんから見えないから、何をやっているのか分からないんですよ。だから、リングの一方で技を出しても、反対側にいる人にも分かるようにしなければいけない。それが一番のポイントなんです。

 おれたちはちゃんとやっているんだから、何をやっているか分からなくてもそれでいいんだ、というのはだめなんですね。野球の場合だと、ボールを投げて、打って、そのボールがどこに行ったというのが、どこで見てる人にも分かります。

 それがプロレスの寝技は、反対側なんかにいると分からないわけです。そうすると、お客さんに喜んでもらうプロレス、ということから離れていってしまうんですね。そういうことも考えて、プロレスをしなくてはならないんですよ。

『16文の熱闘人生』より
シニアヘビー級王座開設の可能性について

50歳、60歳の選手が相手だと思って練習していると30、40歳の選手とは闘えなくなってしまうんですよね。だから、ないんじゃないかなあ。

1988年11月3日=当時50歳、トークショーの質問コーナーにて

 プロレスの歴史は、いかにお客さんをだますかだったと思います。切符が売れさえすればそれでいいと、出場選手の質を落としてギャラを節約し、逆に売れなくなるといい選手を呼ぶ、というやり方だったんです。

 それを全日本プロレスはファンを決して裏切らない、質の高いものをやる、ということでやってきました。今二十年経ってやっと信用がついてきたんです。この信用を一度でも崩したら終わりです。この信用を守っていくこと、そのためには一生懸命に、そしてまじめにやっていくしかありません。もちろん全日本プロレスのモットーである「明るく楽しく激しく」は、永久に続けていきたいと思っています。

 好きな絵も今は描けませんが、描きたいなあと思います。パリのモンマルトルでキャンバスを広げるわけにはいかないし、日本でもちょっと無理でしょうから、どこか外国の河原でキャンバスをひろげたいなあ、と考えたりしています。

『16文の熱闘人生』より
リップ・ロジャース戦の実現要望に対して

 今まで だったら、なんで俺がやらなきゃいけないの、って思ったけど(笑)、最近は我ながら人の言うことを聞くようになりましたんで。皆さんが見たいというならやってもいいですよ。拒む理由もないしね。

1989年11月5日、早稲田祭にて

 引退ねえ。そりゃ俺も引退については、自分なりに考えているよ。先日も松山千春さんからここ(病室)に電話が入って「馬場さん、もうだめか!」と言われると「なにくそ」と思ってしまうもんな。逆に気力と闘志が湧いてきた。だから、現時点では引退については、何も考えてない。早く足を治してリハビリをすること、それしか頭の中にはないよ。

 人生は七転び八起きじゃなくて、8回転んだら、9回起きないと。負けたらだめなんだよ。このまま、だめでした、引退しますと言ったら、こんなブザマなことはないからね。そうしたくないと思って、今、頑張っているんだよ。

『週刊プロレス』1991年1月15日号より

第1試合というものは非常に大事なんです。北原(辰己)と菊地(毅)が試合をやったら、お客さんが居眠りしてしまうかもしれない。だから、そこで百田(光雄)がきちんと役割をこなしてくれることは、大事なことなんですよ。

1988年11月3日、トークショーより
他団体との合同興行について

 流れ次第だろう。そういう機運が盛り上がってきたら、もう、無視することはできない。無視したらその人間が時代に取り残されてしまう。オレは全日本プロレスを、そのようにさせてはならないと思っている。だが次の点を間違わないでほしい。

 団体の基本は、あくまで年間スケジュールにある。各シリーズを成功させることが企業運営の第一条件である。合同興行はいってみれば付録のようなもの。合同興行を第一目標にしたら、その団体はすぐにつぶれるよ。

 オレは社長だからみんな(社員)のことを考えないといけないんだ。まず、社員とレスラーのこと。だから、合同興行は余裕のある形でやりたいね。プロ野球のオールスターをみれば、わかりやすいと思う。あれはお祭りだろう。合同興行も祭りにしないとだめだな。合同興行が終わった次のシリーズだ客入りが悪かったら、なんにもならない。ガタッとくる可能性が多いんだよ。

『週刊プロレス』1990年2月6日号より
新日本2・10東京ドーム大会への選手貸し出しについて

 今回のことははっきりいってオレの一存で決めたよ。社員やレスラーの誰にも相談せずに独断でやった。それも電光石火の結論だった。上杉謙信じゃないけど、同じプロレス界に生きている人間として、あそこで坂口(征二)の頼みを蹴ったら、オレは人間性を疑われるよ。そうだろ。

 それにオレは今年初め坂口と会った時、あなたたちの前で「マット界のベルリンの壁はなくなった」といったよな。その公約をはたす日が、予想以上に早くやってきたということだよ。坂口には災い転じて福としてほしいな。頑張ってもらいたいよ。

『週刊プロレス』1990年2月6日号より
当時、噂に上った天龍源一郎対前田日明戦について

 前田戦をやれって? 俺の目で見ると、もうこの間のジャンボ(鶴田)と天龍の試合(89年6月5日、日本武道館)に尽きると思うよ。これまでにあんな素晴らしい試合はなかった。

1989年7月10日、札幌でのトークイベントにて

『私、プロレスを独占させてもらいます』というコピーは、要するに独占したくなるほどプロレスは面白くて素晴らしいものなんだという意味なんだ。だからプロレス関係者はもっと自信を持ちましょうという呼び掛けをしているんだ。

『週刊プロレス』1989年3月7日号より

俺はね「王道」なんて使ったこと一度もないよ。ただし、プロレスをやるにはこうしかない、という普通の道、まともな道はあるんじゃないのと俺は思うんですよ。

『Number』1998年4月9日号より

ダメなレスラーは、だいたい指先に神経が集中してない。腕をだらんとさせているレスラーは話になりませんよ。その点、新日本の藤波は猪木から学んだんだろうけど、常に指を動かしている。

1989年8月の発言

いつも言うんだけど、プロレスって1から10まで段階があるとしたら、外国人選手も含めて、彼ら(高山善廣、垣原賢人ら他団体から参戦中の選手)は6、7、8、9、10を勉強して、1から5は何もしてないんだよ。ここの問題なんですよ。ねえ、そう思うでしょ? そこの1から5までをみんなにもうちょっと勉強してもらえれば、もっといい試合をするようになると思う。彼らがもしプロレスの上で生きていこうとするなら、1から5を勉強しないとダメでしょうね。

1998年9月11日、日本武道館にて

プロレスの魅力はでかい体の持ち主がバシャーンとぶつかって飛沫が飛ぶ。その迫力がお客を引きつける。要は、普通の人がマネできないことをやるのがプロレスなんだ。

『週刊プロレス』1988年1月19日号より

俺なんかは、本当に全身がしびれて歩けない状況で「明日は休めよ」と言われるのかと思ったら「明日は来いよ」と言われた。休めない、というのを身に痛感した。手が痛いなら足を使え。足が痛いなら手を使え。そういう経験を積んでいった。

『週刊プロレス』1998年7月14日号より

「俺がこの会場をフルハウスにしてやる」という気持ちがほしい。それがプロレスラーの快感なんだよ。プライドと言ってもいい。もし、自分の力で大会場をフルハウスにしたら、こんなに気持ちのいいものはないよな。

『週刊プロレス』1988年8月9日号より
テレビ解説について

 レスラー経験者なら技の入り方や、ダメージの個所、度合いなどがはっきりわかる。しかもマスコミ関係者はやはり遠慮があって、レスラーをこき下ろすことはあまりしないが、私ならそれをやっても差しつかえない。昭和62年3月7日の秋田大会だったか、私が輪島大士のファイトをボロクソに言ったところ、「馬場さん、それはないでしょう」とアナウンサーが言った。頭に来た私はイヤホンを放り出し、さっさと席を立ってしまった。やはり師匠としては、本当のことを言わなくてはいけないと私は思っている。

『王道十六文』より

この世界で「あいつに負けたくない」「もっとのし上がりたい」と思うのはいいが、それによって他のレスラーや他の団体を傷つけるのは良くない。プロレス道に反しながら出世するのが一番いけないことなんだ。

『週刊プロレス』1988年1月19日号より

2人だとしたら、仮にトップに負けたとしても、2番手なんですよ。欲のないやつは、それで終わってしまった。要は、落ちていくことを恥ずかしく思わなかったら、進歩はない。試合に負けて悔しいと思わなかったら、強くならない。

『週刊プロレス』1997年3月25日号より

やっぱり楽をすると、衰退につながっていくんだよ。後楽園で三沢たちと川田たちがメインをやると「何もここで、この技をやらなくてもいいじゃないか」と言うファンもいる。でも、だから後楽園でも面白いんだよ。

『週刊プロレス』1997年3月25日号より

僕がこうやって構えますでしょう。相手は左足を出さなかったら絶対に投げられないんですが、左足を出した途端にふっと左側に引っ張ると、相手は簡単にこけるんですよ。そういうことは歳をとってくるとわかりますね。

『一冊の本』1997年11月号より