馬場元子監修

リングで出会った男たち
マシオ駒

 この日(1976年3月10日)、マシオ駒が死亡した。日本プロレス時代に私の付人第1号となり、全日本プロレスの設立にも真っ先に参加してくれた駒は、体は小粒だったが、気っぷのいいファイトをする選手だった。性格は真面目で几帳面で、私は若手の指導者として絶対の信頼を置いていただけに、まだ35歳の若さで内蔵疾患に倒れたことは痛ましく、残念だった。駒がドリー・ファンク・シニアに目をかけられてアマリロに定着していたことが、ファンク一家との交流のきっかけともなった。旗揚げ当初の駒の有形・無形の功績ははかり知れないものがあったと、今でも感謝している。

『王道十六文』より