馬場元子監修

闘いの記憶
1971年3月2日、インタータッグ戦について

 昭和46年は、実にいろいろなことがあった年だ。2月にミル・マスカラス、スパイロス・アリオンが初来日し、3月2日、蔵前国技館でインタータッグ王座に挑戦して来た。マスカラスは、この初来日で人気爆発したが、正直言って私は、この手のタイプが好きではない。

 力道山から教わり、アメリカで覚えたプロレス理念とは、全く別のところにマスカラスはいた。キンキラキンに着飾り、キザなポーズでファイトされたんじゃ、例えは悪いかもしれないが、振り袖を着た女性に喧嘩を売られたようなものだ。こっちの方がてれてしまう。

 国技館での防衛戦でも、マスカラスのドロップキックを手ではたき落とし、蹴っ飛ばしたのが記憶にあるぐらいで、「寛チャン、こいつは頼むよ、俺はアリオンを引き受ける」と猪木に任せてしまった。

 そのマスカラスを、全日本プロレスを旗揚げしてからは常連として呼ぶようになったのは、プロモーターとしての私がその人気を認めざるを得なかったからだ。レスラーとしての私は、やはり対戦するのはご免だった。

『王道十六文』より